最近の記事

2015年08月16日

京都が原爆投下の第一候補? 五山の送り火を見ながら思った事


8月16日、京都では毎年恒例の五山の送り火。
私の自宅の近所に、京都市街を見渡せる小高い丘があり、
そこから舟形、左大文字、鳥居形を見る事ができます。

京都の五山の送り火の舟形
↑舟形
京都の五山の送り火の大文字
↑左大文字
京都の五山の送り火の鳥居形
↑鳥居形と京都タワー

五山の送り火は民衆の自発的行為として始まったようで、
朝廷などの公式行事ではなかったので記録がなく、
いつから始まったのか、その起源はよく分かっていないようです。

ただ、ネットで調べてみると、
1603年に「鴨川に出て山々の送り火を見物した」と記載されている文献があるようで、
少なくとも400年以上前には、京都の夏の風物詩になっていたのでしょうね。



ところで、先日、MBS毎日放送の「ちちんぷいぷい」で、
京都が原爆投下の第一候補だったという事を知りました。

これまでの私の認識では、

「文化遺産を守るために京都には爆撃しなかった」
「アメリカは戦争を早く終わらせるために広島と長崎に原爆を投下した」

・・・実はそうではなかったんですね。

京都大学に保管されている当時のアメリカの機密文書によると
京都に原爆を投下する事になっていたとか。

原爆の投下は実験が本来の目的で、原爆の効果を正確に確認するためには、
京都が焼け野原になっていると都合が悪いので、爆撃を禁止していたとの事。

・・・考えてみれば
戦争をしている敵国の文化遺産なんてどうでもいいですよね。

結局、京都に原爆を投下すれば反米感情を植え付ける事になり
戦後、日本はソ連に共鳴しかねないという事で
京都を候補から外したようですが、
8月17日か18日以降の晴れの日に
広島と長崎に続いて3回目の投下が計画されていて、
もし終戦が数日遅れていたら、京都に投下されていた可能性があったようです。

計画では梅小路の機関車庫に投下する事になっていて
半径2.4キロ以内は壊滅状態になり、
半径5キロは爆風や火災を避けられないとのこと。

そうなると、今日、五山の送り火で見ている京都の夜景は
だいぶ違ったものになっていたでしょう。

五山の送り火自体は、戦後、復活したかもしれませんが、
祇園祭の山鉾巡行などは途絶えてしまったかも知れませんね。

先日、バースデーランチを食べに行った旬風庵のような
町屋の建物は存在していないでしょうし、
いつも買いに行く老舗の和菓子屋や漬物屋も無くなっているでしょう。

京料理の菊乃井も無くなっていますから
日本食が世界遺産に登録されることもありません。

当時、自宅の近所でカルタ屋だった任天堂も無くなっています。

そして当時、この自宅に住んでいた義父はどうなっていた事か。
そうなると妻は生まれてこなかったかも知れません。


おそらく、広島や長崎にも
脈々と人々に伝えられてきた文化や伝統があったでしょうし、
それらが原爆によって跡形もなく消えてしまったのでしょうね。

何よりも20万人以上の人が犠牲になっています。


五山の送り火を見ながら
アメリカ人が言う「原爆投下によって失われるはずだった多くの命を救った」
という詭弁は止めてほしいと思わずにはいられませんでした。

ラベル:原爆 送り火 候補
posted by ポラリス at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック